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マップ画像は拡大できます
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太宰が暮らし歩き執筆し飲んだ三鷹を感じてほしい
作家太宰治は、1939年(昭和14)9月1日東京府北多摩郡三鷹村下連雀(現東京都三鷹市下連雀)に転居してきました。そして、1948年(昭和23)6月に自死するまでの9年間に、「斜陽」「走れメロス」「人間失格」などの作品を発表しました。この『太宰治足跡コース』は、そんな三鷹時代を偲ぶよすがとしてガイドするものです。現存するゆかりの場所はほとんど消滅していますが、太宰が暮らし歩き執筆し飲んだ三鷹を、時空を超えて感じていただければ幸いです。
1 太宰治展示室 三鷹の此の小さい家(5F三鷹市美術ギャラリー内)
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太宰治の自宅を一部再現。「常設展示室」「企画展示室」「体験型展示室」に加え、縁側から麦畑を一望するかのように太宰が描いた書画を眺められるスペースもある。
10:00~18:00
☎0422-79-0033
休館:月曜(月曜が祝日の場合は開館し、翌日と翌々日を休館)、年末年始 ※展示替えのための臨時休館あり
無料
2 陸橋(三鷹跨線人道橋)
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1929年(昭和4)に造られた。この近くに仕事部屋があった太宰治は、この陸橋が好きで『いいところがある』と言って、編集者や弟子を連れて来ていた。写真家田村茂が撮影したマント姿で遠い空をじっとみつめる写真や階段を下りる写真はよく知られている。
3 中鉢家跡(現・藤和シティスクエア)
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太宰治が疎開先金木町から三鷹に帰り、最初に仕事部屋としたところで、作品「朝」に登場する。ここでは、作品「メリークリスマス」「ヴィヨンの妻」を執筆した。
4 田辺肉店離れ跡
太宰治は神奈川県下曽我雄山荘の太田静子の元を訪れ、日記を借りて伊豆の三津浜「安田屋旅館」で「斜陽」を起稿する。ここは、2番目の仕事部屋で第3章以降を書き上げた。ミステリー作品「犯人」は、田辺肉店が舞台となっている。
5 三鷹市太宰治文学サロン
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“太宰が生きたまち三鷹”の拠点となり、情報交流と発信の場そして市民の交流の場となっている。太宰が通った「伊勢元酒店」の跡地に2008年(平成20)3月、開設され、2022年(令和4)3月ブックカフェ機能を追加しリニューアルした。
10:00~17:30
☎0422-26-9150
休館:月曜(月曜が祝日の場合は開館し、翌日と翌々日を休館)、年末年始
無料
6 野川家跡(現・永塚葬儀社)
美容師山崎富栄が、三鷹駅前の美容院で働くため下宿した場所。太宰治が1947年(昭和22)の初秋から最後の仕事部屋にした場所。2人は遺書を置き、遺品を片付け、1948 年(昭和23)6月13日深夜、玉川上水に・・・。
7 小料理屋「千草」跡
作家仲間・編集者との打合せの場所でもあった小料理屋。2階を仕事部屋にもした。太宰治の行方不明後は捜索本部となり、遺体発見後は検死場所となった。主人鶴巻幸之助さんは、桜桃忌の御世話をしていた。
8 玉鹿石
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太宰治と山崎富栄さんが入水した場所の近くに設置。太宰治は玉川上水を散歩する時、滝のような流れだったこの場所が好きだった。よく編集者や作家仲間を連れてきていた場所。故郷金木町(現:五所川原市)産の玉鹿石が置かれている。
9 旧居跡のさるすべり
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ここ井心亭は三鷹市の和風文化施設で、太宰治旧居の門柱わきに植えられていた「さるすべり」が移植されている。作品「おさん」には、この「さるすべり」が登場する。
10 新橋付近
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当時の玉川上水は「人食い川」と呼ばれるほど急流で水量も多く、太宰治と山崎富栄さんの捜索は、多摩川羽村の取水口で取水制限をして行われた。そして、上水に架かる新橋付近で、紐で結ばれた2人が発見された。奇しくも太宰治の誕生日6月19日だった。
11 禅林寺(黄檗宗)
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1700年(元禄13)創建の禅寺。作品「花吹雪」に「この寺には森鷗外の墓がある。(中略)墓地は清潔で鷗外の文章の片影がある。私の汚い骨もこんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない・・・」と書かれていることから、ここに眠ることになった。太宰治の墓の前に森鷗外(林太郎)の墓がある。